【質問】進行を遅らせるために家族がやるべきことできること(多系統萎縮症の疑い)
投稿日 : 2018/07/04(Wed) 02:49
投稿者 アッキー
投稿内容
実父(73)が多系統萎縮症の疑いということで、総合病院の神経内科に通院しています。発端は5年くらい前、夜間睡眠時に夢を見て大声を出したり手足をばたつかせたり、日中の意欲低下や鬱っぽい表情などから、レビー小体型認知症を疑い、開業の精神科を訪ねました。検査の結果は、異常なし。持病の心臓を診てもらっているかかりつけ医は、老人性鬱だろうから、時間と共に良くなると言われてきました。が、一向に改善されず、すり足歩行や無動などの歩行障害、字が小さくなり歪む、能面表情など明らかにおかしな身体の変化が出てきたので、パーキンソン病を疑いまして、一年半ほど前、、開業の神経内科を受診。そこでパーキンソン類縁疾患と言われて、薬を飲み始めました。薬は毎月増えて行くものの、一向に症状が改善されず、父自身が薬を飲んでも意味があるように思えない、と言い出しました。結局、一年ほど通ったところで、総合病院に転院。再度、検査をして、多系統萎縮症の疑いと言われました。脳のMRIで十字は見えませんが、スリットが見えます。新しい医師は投薬治療に積極的でなく、薬は一種類のみの処方で、これまでより大幅に減りました。転院を挟んだここ数ヶ月で、父は身体の動きがかなり悪くなり、食事とトイレ以外はほぼ横になっています。が、横になっていても辛いきついと訴えます。先月末、要介護2の認定を受け、介護ベッド、手すりなどを設置したばかりです。現状ですが、トイレや風呂は介助が必要、横になるときは転がり落ちるように移動、自力で寝返りを打つことも起き上がることも難しい様子です。食事はなんとか自立していますが、箸運びや飲み込みが悪くなっているように見受けられます。
記事編集 編集
↓これまでの投稿一覧(新しい順) <*投稿フォームは一番下です>
イージーさま
投稿日 : 2018/07/09(Mon) 12:39
投稿者 アッキー
参照先
心強いお言葉ありがとうございます。また疑問や悩みが生じた時は、頼りにさせていただきます。ご助言をどうぞよろしくお願い致します!

父は身体の不自由が増えて、鬱々とした気分でいることが多いのですが、時折、私の下らない冗談にニヤリとしたり、父自身のブラックジョークで私を笑わせてくれたりすることがあります。そんな時は、とても嬉しくなります。
先の見通しは困難でも、笑いながら、やっていこうと思います!ありがとうございました!
記事編集 編集
Re: 【質問】進行を遅らせるために家族がやるべきことできること(多系統萎縮症の疑い)
投稿日 : 2018/07/06(Fri) 14:18
投稿者 イージー
参照先
ご丁寧に有り難う御座います。
患者が介護者に望むことは人それぞれで、私の感覚がそのままお父様に通じるかどうかは分かりません。その点は呉々もご注意を。
面倒だとは思いますが、安易に手を貸される前に一々ご本人に何をどうして欲しいのかを聞いて意志の疎通を図って頂ければと思います。(言うは易しですが)

胃瘻や気管切開など、時には延命措置と呼ばれる治療、を施すかどうかの判断は、急ぐ必要は無いと思います。
それらが必要とされる状態になったときに、患者がどういう状態に置かれているか次第でその位置づけは大きく変わると思うからです。

患者がそれらを施しても生命を維持しているだけの状態になるのであれば、これらは延命治療と言うことになるのでしょうが、それをしたことによって患者の「尊厳が保たれた生活」が戻ったなら、延命などではなく有効な治療だったと言うことになります。
敢えて結果論的な表現をするのは、胃瘻や気管切開をしたことによって解決すると期待していた問題が解決しなかったり、新たな問題が発生したりする事が有るためです。

そうなると「尊厳が保たれた生活」とは何かと言うことになります。
これは本当に人それぞれです。

私は、「自らの意思で行動できること」だと思っています。
「死をも自ら選択できなくなってまで生きていたくはない」と言うことも出来るかも知れません。

「自ら行動すること」についてはこれまで沢山諦めてきました。
今なお創意工夫と道具を使うことでそれを補うべく努力を続けてはいますが、今後は益々人手を煩わせることになり、思うようにはことが運ばなくなります。

発語による意思伝達が困難になってきました。
文字入力が出来なくなった時点で意思の伝達手段が無くなります。筋肉も思ったときに思ったようには動きません。
やって欲しいこと、やって欲しくないことの意思表示すら出来なくなると言うことは、完全な人任せの人形状態です。

それは私にとって「尊厳が保たれた生活」を失うことです。
だから自らの意思で死ねる方法を模索しているのですが、恐らく他の患者さんより早く、胃瘻や気管切開などが「延命治療」となってしまう日が来るのでしょう。


今回の書き込みも完全な私感なので、そんな風に考える人もいるんだな、程度で読み流していただければと思います。
答えなど何処にも無いのだとは思いますが、今回のやり取りを通じて、私自身の考えを整理することが出来ました(それすら何時変わるか分からないのですが)。

有り難う御座いました。

尚、この書き込みに対するご返信は不要ですが、何かお役に立てそうなことがあったときにはいつでも書き込んで下さい。出来る限り対応いたします。
記事編集 編集
返信:イージーさまへ
投稿日 : 2018/07/06(Fri) 12:31
投稿者 アッキー
参照先
身体のご不自由がある中で、このように懇切丁寧に、そして詳細に、ご回答いただき、ありがとうございます。
死というものは、人間の宿命として避けることは出来ないとわかっているのですが、父がこのような難病を引き受けることになり、最近、誰の目にも明らかなほどの、病気の急進を目の当たりにしていると、「死に方」というものを考えざるを得ません。悲しい、辛い、不条理だという思いの反面、イージーさんのおっしゃる通り、父は十分に生きたんだから、という諦念もあります。(上を見ればきりはありませんが、、、)
願わくば、最期に苦しい思いはさせたくない、できるだけ穏やかな「死に方」をしてほしい。父も家族も今のところ、「なんとなく」程度ですが、胃ろうや人工呼吸器による延命を望んでいませんので、そうすると、現実的にどんな予測、見通しが立てられて、どんな準備が必要になるのだろうか?と考えています。色々調べるのですが、今のところ指針は見えません。
この問題とは別に、日常生活で父の介護をしっかりと、役に立つ形で、悔いの残らぬようにこなしていきたい、という思いもあります。この点において、当事者のイージーさまの生の声を聞かせていただき、まさに目がさめる思いでした。日常のさまざまな動作にもたつき、手間取って、身動きできずに困っている父の様子を見て、安易に手助けしてきた自分を反省しました。父自身、元来口下手で自己表現も不得手なため、せっかちな私や母がいろんなシーンで、先回りして、手を出してしまうということが多かったように感じます。今後はイージーさんの訴えを肝に命じて、じっくりと父の様子を観察しながら、人間工学的な視点で父の生活環境を整え、できるだけ自分でできるようにサポートしていこうと思います。
最後の、自分史作りを促してみては?というアドバイス。大変参考になります。父の知的好奇心が働いているような、調子の良い日を見計らって、水を向けてみようと思います。それが、身体の不自由が増えていっても、最期まで「生きよう」とする意欲に繋がってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。でも、健常者だって日々をしっかり生きるなんて難しいですよね!

本当に多角的なご助言やご教示をありがとうございました。イージーさんのお話からたくさんの気づきがありました。私が誤解していた部分や理解が足りない部分がたくさんあるのだとということもわかりました。専門書や難病専門サイトを読むだけではわからない、重要で有意義な学びがありました。何度も読み返しながら、正しい理解を深めていこうと思っています。
父がいつまで自力で活動できるかは神の範疇ですが、家族として、できるだけのことをしながら、一緒に悔いのない時間を過ごしていこうと、気持ちを新たにしています。本当にありがとうございます。
記事編集 編集
Re: 【質問】進行を遅らせるために家族がやるべきことできること(多系統萎縮症の疑い)
投稿日 : 2018/07/05(Thu) 18:17
投稿者 イージー
参照先
これはご質問への回答ではありませんが、やり取りを読んで感じたアドバイスです。
的外れだったらご放念下さい。

お父様が突然こんな病に冒されてしまったことに対して、ご本人もご家族も気持ちの整理がつかないことは良く分かります。
しかし、大変失礼ながら、73年も生きてこられたという事実は正直羨ましくもあります。

お父様は体を動かすのにはあまり乗り気ではないご様子なので、それを無理強いしても逆効果のような気がします。

もし、知的好奇心を未だお持ちのようでしたら、『お父さんの哲学』等と難しいことを大上段に構えるのではなく、「自分史」の様なものを書いてみることをお勧めしてみてはいかがでしょうか?
最近のPCは音声入力機能が格段に向上しているのでキーボード入力が困難でも容易に入力できます。
いったん入力したものを修正するのは比較的簡単です。

恐らくご家族もご存じないお父様の人生というものがおありだと思います。
それを知るのにも良い機会になるでしょうし、その作業を通じて、ご自身の人生の中で達成したこと、そのときに感じたこと、やり残したこと、友人や家族への想い、などを洗い出すことが、心の整理の手助けになればと思います。

心の整理がつけば(勿論、完全に整理できるとは思いませんが)、他のことも前向きになれるのでは無いでしょうか?
記事編集 編集
Re: 【質問】進行を遅らせるために家族がやるべきことできること(多系統萎縮症の疑い)
投稿日 : 2018/07/05(Thu) 17:31
投稿者 イージー
参照先
前ページからの続きです。

『「死ぬ方法」について何らかの考え』

残念ながら持ち合わせていません。
死に直結しない病の難しさです。
自殺をする身体能力は残されていませんし、仮に出来たとしても残された人に物理的にも精神的にも大きな負担を遺すことになるし、唯一絶対の「生きる」と言う使命を受けて産まれてきたからにはそれに逆らうことは出来るだけしたくありません。

一番良さそうなのは第三者による事故に巻き込まれて死ぬことで、遺された人たちが責任を感じることなく(悲しみについてはいかなる死にも同等に訪れるのでこの比較の中では除外します)あわよくば賠償金が転がり込むかも知れません。
惜しむらくは身内が関連しない事故に遭いそうな場所に出かける機会がないと言うことです。

そうなると、自分で出来るのは消極的自殺、例えば栄養摂取量をコントロールして衰弱死の方向に持って行くとか。
もちろん予め家族にはいかなる場合でも点滴や胃瘻などの処置をしないことに同意を取り付けることが前提となります。

私の場合は誤嚥や痰などが原因で呼吸困難になる可能性がありますので、気管切開や人工呼吸器を拒否していれば比較的早く死が訪れるかも知れません。

しかしながらどの方法でも(自殺を除いては)死期をコントロールできないのが辛いところです。
良い方法があったら教えて下さい。

『介護する家族にして欲しいこと、してほしくないこと(物心両面で)』

これは千人いれば千通りの答えがあると同時に、病気の進行や環境の変化によって時々刻々変わって行くものだと思うので難しいですが、現在の病気の進行具合を前提に敢えて私の望みを言うなら、「出来るだけ沢山のことを、少しでも長く、自分で、出来るように環境を整えることに協力して欲しい」と言うことでしょうか。

患者に何かをやってあげることが介護だと思いがちです。
しかしながら、(私のような患者は)安易に手伝うことで自分で出来るようにする努力の邪魔をされたくないのです。
そうは言っても出来ないことがあるのが現実ですから、それなら出来ない部分をどうすれば出来るようになるかを一緒に考えて工夫して欲しいのです。

例えば、着替えをする際にどうしても困難な箇所が有るなら、着替えの畳み方、着替えの置き方、便利グッズの導入、手順の工夫、着替えやすい下着や洋服の購入、等々でまた自分で着替えが出来るようになるかも知れません。

介護者からすると手伝ってしまった方が簡単だし、考える必要もないのでつい手を出して片付けたいのは良く分かります。
しかしながら、それが同時に患者の可能性を潰しているということに気づいて欲しいのです。

患者は生活の中で様々な工夫をしながら日々失われて行く機能を補おうとしています。
次はどちらの足を何処に置いて、手は何処を掴んでいれば転倒のリスクを最小化できるか、それでもバランスを崩したときにはどう対処するか、次の一歩を出やすくするにはどうしておくのがベストか、一歩毎にそんなことを考えながら歩いているのです。それでも転びます。痛いのは自分です。

健常者には想像もできないレベルですので、安易には理解できないでしょう。
だから、何かが出来ないときに安易に手を出すのではなく何をどうしようとしているのかを良ーく観察した上で、どうすれば出来るかを一緒に考えて欲しいのです。
患者は赤ん坊のように扱われることを嫌悪します。
記事編集 編集
Re: 【質問】進行を遅らせるために家族がやるべきことできること(多系統萎縮症の疑い)
投稿日 : 2018/07/05(Thu) 16:22
投稿者 イージー
参照先
アッキーさん

病状は千差万別、患者の考え方や感じ方も千差万別、介護者の考え方も千差万別、ですのでここに書かせていただいているのは私と言う極めて特殊なケースであって、万人に共通では有りませんし医学的な専門知識を持ち合わせているわけでも有りません。
その点を十分ご理解の上お読み下さい。
何か参考になることが有れば幸いです。

今回もコメントできる範囲でお答えします。

『闘病記の執筆者の皆さんと異なり、・・・・』

闘病記を執筆するような方はほんの一部の例外です。これを基準にされない方がよいと思います。またそれらの方々が一様に『積極的に「生きよう」とする気力』をお持ちかどうかも疑問です。
少なからず自分の経験を伝えることにより、同病者の役に立ちたいとか、生きている実感を持ちたいとかは考えておられるとは思いますが。

『日によっては比較的活動的な時もあるのは、病気の特徴でしょうか。』

気圧やその他の外的要因が関係する方、外的要因とは関係ない方、それぞれですがほぼ例外なくこの種の病の特徴です。

『小脳が鈍くなっても、幸い大脳は健全なまま』

そう思いたいところですが、これも人それぞれだと思います。
生きていくためには小脳の機能を不慣れな大脳で補うしかないわけですし、それも病気の進行によって日々変化していく身体機能に対応して行かなくてはならないのですから、大脳の負担は並大抵ではありません。
それなのに大脳に通常通り働けと言うのは酷な気がします。
嚥下や講音障害が酷く、バランスを取るのが困難な私の場合で言うと、食事中や入浴中はもちろんのこと、直立しているときですら命がけで大脳が働いていますからその最中に話しかけられても声は脳に届きません。
ましてや答えを求められても答えることなど不可能で、無愛想だとか、不機嫌だとかと取られているのが分かっていても状況を説明することも出来ません。

PCの前に座っている時は、バランスを取る必要がなく、呼吸困難にもなる可能性が低いので何とか考えることは出来てこうしてお返事を書くことも出来るのですが、それでも日替わりで動かなくなる指を騙し騙し使い、ミスタイプを修正することに気を取られながらの作業です。

呉々も健常者と同じレベルで大脳を使えるなどと期待しないで下さい。

次ページに続く
記事編集 編集
イージーさま
投稿日 : 2018/07/05(Thu) 10:18
投稿者 アッキー
参照先
承前

最後にまた一つ質問させてください。

「多系統萎縮症でも何でも良いや、と達観しています(するしかない)」
「私は割り切り(諦め?)が早く、何れ死ぬんだしここまで生きてきたのだから悔いは無し、やれるところまでやったら死ぬ方法を考えようと思って全力で生きています。」

イージーさまの、明るくて前向き、竹を割ったようなさっぱりしたご性格を素敵に思います。父も元気な頃は「お父さんの人生哲学はーーー」などと達観したようなことを語っていたものです。この前、私は父に「難病になって身体がだんだん動かなくなることは辛くて惨めだろうけど、小脳が鈍くなっても、幸い大脳は健全なまま。身体が不自由になった今こそ、苦難を受け入れながら思考を深め、自身の人生哲学を確立するチャンスだよ。今までの哲学はいわば偽物。人生の集大成として、本物のお父さんの哲学を私に教えて欲しい」と伝えました。父は少し笑って、「わかった」と言っていました。
イージーさんがもし既に「死ぬ方法」について何らかの考えをお持ちでいらっしゃるのならば、お考えを教えていただけませんか。不謹慎かもしれません。ご不快に思われたらすみません。ご回答いただけなくても大丈夫です。
また、同病のイージーさまが、介護する家族にして欲しいこと、してほしくないこと(物心両面で)があれば教えてください。重ね重ねすみません。

色々と非常に為になるアドバイスや経験者ならではの知識をありがとうございます。このような場を設けていただいた掲示板サイト管理者の方にも感謝申し上げます。先は暗く、見通せませんが、この掲示板を活用して、父との時間を有意義で楽しく、悔いの残らないものにしていこうと思っています。
記事編集 編集
イージーさま
投稿日 : 2018/07/05(Thu) 09:38
投稿者 アッキー
参照先
このたびは、私のまとまらない疑問に対して、一つひとつ丁寧にしっかりとご回答くださり、ありがとうございました。
父の発症以来、自分なりに、パーキンソン病や多系統萎縮症などを調べました。通院や投薬治療の行方を見守る一方で、パーキンソン病友の会にも出席したりもしました。薬の量が増える一方で、症状が改善されないことに不安や疑問が膨らみました。そのうちジスキネジアなのか、頻繁に歯を噛み締めてゴリゴリと音が出るという、新たな症状が父に現れました。調べると、薬の副作用かもしれないし、病気の進行による症状の一つかもしれない、とあり、頭を抱えました。医師に症状を訴えると、症状を抑える薬がまた一つ増えました。このまま薬付けでいいのだろうか、、、、と悩みました。イージーさんのご指摘の通りでした。
このたびの転院で、やっと「多系統萎縮症」という病名を伝えてもらい、新しい医師の方針である「薬はできるだけ少なく」という考えに共感しました。が、ここ数ヶ月で日常生活に介助が必要になるほど進行し、薬を減らしたせいではないだろうか、と不安が膨らんでいました。が、イージーさんのご意見を聞き、現在の医師に任せて、父を見守っていこうと決心できました。
同病の方の闘病記をあちこち拝見し、色々と学ばせていただいていますが、年齢のせいか、父自身には、闘病記の執筆者の皆さんと異なり、病と共に積極的に「生きよう」とする気力がないのが気になります。病気のことも治療のことも、自分自身で調べたりすることはなく、今後の生き方を自分で掘り下げて考えたりする様子は見られません。薬を飲むのも母任せ、運動も億劫がってあまりやりません。やりたいこともなく、食べたいものもなく、行きたい場所もないと言います。しかしながら、「達観」したような清々しい感じではありません。鬱症状なのか、「頭がモヤモヤしする」と訴えることが多く、思考力が落ちているようにも思えます。認知症のようなことはありませんが、、、
ただ日によっては比較的活動的な時もあるのは、病気の特徴でしょうか。
本人がこのような現状なので、今後は、介護に当たっている同居の母や家族で、制度的な介護支援やサービスなどを検討し、積極的に利用しながら、父の進行を少しでも遅らせることができるように、取り組んで行こうと思います。続く
記事編集 編集
Re: 【質問】進行を遅らせるために家族がやるべきことできること(多系統萎縮症の疑い)
投稿日 : 2018/07/05(Thu) 01:20
投稿者 イージー
参照先
続き

『再度検査をして、多系統萎縮症の疑いと言われました。・・・・新しい医師は投薬治療に積極的でなく』

その医師は正直で良心的だと思います。

『病気の進行があまりに早く感じられ、私自身、病気の理解や介護に向けた心の準備が追いついていない状態』

お察しします。これも多くの方が感じられていることだと思います。
ただ、患者の時計の針は周りの方より早く進んでしまっていますので、追いつき追い越してあげて下さい。
私の場合は本人が先走り、周りがついてこれない状態ですが。

『寝たきり状態になるのも時間の問題でしょうか?』

それは神のみぞ知るです。下の答え次第かもしれません。

『進行をできるだけ遅らせるために、家族がやるべきこと、できること』

ご本人の体調に合わせることが第一ですが、訪問看護や訪問リハビリ(と言っても無理な運動をするのではなくマッサージやストレッチによって可動域を広げたり筋肉の硬化や筋力低下を抑えたり)を入れてみては如何でしょうか?
プロに日頃の体調管理をしてもらうと共に、お父様にあったリハビリのプログラムを組んでもらうことが出来ます。
日常生活に関するアドバイスももらえますし、同じリハビリをするにしても第三者の目が入ると程良い緊張感が生まれます。
本人に意欲が出てきたら外部でリハビリを受けるのも刺激になって効果的かもしれません。

介護保険を利用する方法と医療保険を利用する方法があります。

制度的なことや介護方法等々、この掲示板にいろいろな情報が詰まっていますので参考にして下さい
記事編集 編集
Re: 【質問】進行を遅らせるために家族がやるべきことできること(多系統萎縮症の疑い)
投稿日 : 2018/07/05(Thu) 01:20
投稿者 イージー
参照先
私も「何かおかしい!」と思い医療機関を転々として、現在はお父様と同様に「画像に十字は見られないし症状も典型的とは言い難いが多系統萎縮症が疑わしい」と言われています。

お父様とは年齢も(私は60歳です)症状もかなり違いますので参考になるかどうかは分かりませんが、私の経験をお話しします。
もちろん病名が確定されていないということは、治療方法の有る病の可能性も否定できない、とも言えるわけで私もその可能性を追求して日本中の医療機関を渡り歩きましたが、もうそんなことが出来る状態ではないので多系統萎縮症でも何でも良いや、と達観しています(するしかない)。
お父様の診断が誤りであることを祈りつつ、ここでは多系統萎縮症だったとの想定の元、一問一答形式で個人的な意見を書かせていただきます。
ちなみに私は割り切り(諦め?)が早く、何れ死ぬんだしここまで生きてきたのだから悔いは無し、やれるところまでやったら死ぬ方法を考えようと思って全力で生きています。

『無策に思える措置のまま定期的に通院するだけ』
『薬を増やすことで多少の改善が見られれば』
『多少の改善を期待して薬を増やしてほしい』

上記は私のみならずこの種の病に罹患した人、及びそのご家族が誰しも一度は思うことです。
でも治療方法が無い現状では、既往症をお持ちでどうしてもそのための投薬が必要という場合を除き、投薬は気休めでしか有りません。副作用のない薬はありませんから、効かない薬を飲んだ結果生じた副作用を抑えるための薬がどんどん増えていく悪循環は絶対に避けるべきです。

続く
記事編集 編集
Re: 多系統萎縮症の疑い
投稿日 : 2018/07/04(Wed) 03:36
投稿者 アッキー
参照先
(承前)今は、母が一人で介護していますが、一人でさせるわけにいかないと感じています。ただ父の病気の進行があまりに早く感じられ、私自身、病気の理解や介護に向けた心の準備が追いついていない状態です。父本人も、同居の母も、ここ数ヶ月の急激な悪化に戸惑い、多少の改善を期待して、薬を増やしてほしい、と担当医にお願いしましたが、もう少し悪化したら対応すると言われ、要望は叶えてもらえませんでした。リハビリ施設利用の指南についても、日常生活の中で動くことが大事だ、と言われるだけで、具体的な対応はありません。父はすでに高齢ですが、このような無策に思える措置のまま定期的に通院するだけでは、なおさら速く悪化しそうで悩んでいます。このような現状ですが、父の進行をできるだけ遅らせるために、家族がやるべきこと、できることをご教示ください。
父自身、数ヶ月のうちにトイレさえ一人で対処できない状態になってしまったことで、非常に落ち込み、気弱になっており、やる気も前向きな気持ちも全くなくなって、頻繁に「死にたい」などと弱音を吐いています。安静時振戦や構音障害はなく、声は比較的大きくて明瞭です。今後の見通しですが、寝たきり状態になるのも時間の問題でしょうか?本人も家族も、胃瘻や気管切開はしたくありません。
まとまりがなくてすみません。不安ばかりが先に立っています。
記事編集 編集
Re: 多系統萎縮症の疑い
投稿日 : 2018/07/04(Wed) 03:04
投稿者 アッキー
参照先

承前
今は母が一人で介護しています。進行があまりに早く感じられる、介護に向けた準備が物心両面で追いついていません。薬を増やすことで多少の改善が見られれば、と担当医にお願いしましたが、もう少し悪化したら対応すると返答。リハビリも、日常生活の中で動くことが大事だ、と言われるだけで、具体的な対応はありません。父は高齢ですが、医療的な対処があまりになさすぎて、このまま定期的に通院するだけで良いのかと悩んでいます。父の現状ですが、身体がキツすぎるようで、意欲が全くありません。構音障害はなく、声は比較的大きくて元気です。まとまりがなくてすみません。不安だけが先立っています。
記事編集 編集
投稿フォーム
件名
名前 (必須)
URL
画像添付


暗証キー

↑入力しておくと後で編集できます

コメント

- WEB PATIO -